日本各地に伝わる手仕事や、受け継がれてきた技を次世代へ伝えようと、活動をしている「uraku」。彼女たちが旅のみちみちで出会う日本の美しい風景や物、事、そしてそこに集う人々のつながりを、メルセデスと共にみつめる旅紀行。女性2人ならではのロードストーリー。前編に引き続き、立春を間近に控えながら、10年ぶりの大寒波で積雪も見られた栃木県の旅中編は、この地で代々竹を育てながら、竹という植物そのものの魅力を発信している農場を訪ねます。
宇都宮市郊外の美しい竹林
前編に引き続き、今回の栃木県の旅は、栃木の県庁所在地である、宇都宮へ向かいます。春の兆しが見え隠れする立春の頃だというのに、10年に一度と言われる大寒波で宇都宮にも雪が降り、気温もかなり下がりました。今回の目的地である「若竹の杜 若山農場」は、昨日訪れた塩谷から車で30分ほどの場所、宇都宮市の郊外にあります。この辺りも雪は降ったようですが積雪はなく、ほんの少し南に位置することと、標高が少しだけ下がったというだけで、こんなに雪の影響が違うのかと、驚きながらも少し安堵で胸を撫で下ろしながらの移動です。
今回も前回に引き続き旅を共にするのは、メルセデスEQの次世代プレミアムEVセダン「EQE 350+」。カラーはハイテックシルバーです。
メルセデスEQ初のミドルセダンタイプの「EQE 350+」はスポーティでなめらかな流線形のフォルムが美しく、よりモダンな車体が特徴です。
これまでのEQシリーズよりも延びた走行距離のおかげで、充電の心配も少なくなり、少し遠出の旅も安心してドライブが楽しめます。車内空間も見た目よりはゆったりとしていて、快適に過ごせます。
さて雪の影響もなく快適なドライブを楽しんでいたら、目の前に美しく整備された竹林の風景が見えてきました。いよいよ目的地へと到着です。
350年前から続く農園
今まであたりに広がっていた田園風景とは明らかに違う、見事な竹の林。宇都宮駅から車で20分ほどの距離しか離れていない場所に、「若竹の杜 若山農場」はあります。
到着すると大柄で柔らかい笑顔の男性が出迎えてくださいました。この農場のオーナーの若山太郎さんです。
積雪こそしなかったものの、朝の冷え込みはかなりのもので、水道が凍ってしまったというアクシデントのためスタッフの皆さんが慌ただしく作業をされている中の訪問にもかかわらず、快く迎え入れてくださいました。
この場所は、若山太郎さんのご先祖が350年ほど前の1670年に移り住み、代々農業を生業とされていた土地です。竹を栽培し販売を始めたのはおよそ150年前の曽祖父の代の頃からで、その後祖父の時代には竹と栗の農家として生計を立てていたのだそうです。
敷地に入ると大きな駐車場があり、正面に受付とショップの入った建物があります。その脇には大谷石でできた立派な蔵があります。蔵というイメージに収まらない大きな建物で、屋根まで大谷石で作られているのだそうです。この建物の一角に竹工芸品のギャラリー&ミュージアムも最近オープンされたのだとか。
まずは竹林を見て回りましょうということになり、ゆっくり竹林の中へ向かいます。
丁寧に手入れされた美しい竹林
およそ24ヘクタールあるという大きな敷地には、きれいに整備された竹林が広がっています。栽培されているのは孟宗竹、金明孟宗竹、真竹、亀甲竹、など、数種類の違う表情を見せる竹が栽培されています。
また敷地内には、大きな樫や欅の木、隈笹などの数種類の笹、湧水でできた池もあり散策するだけでも気持ちのよく、楽しめる場所です。実際この農場は一般に開放していて、受付をして農場内をお散歩はもちろん、他にもいろいろな体験ができます。
さらさらという竹の葉が揺れる音が心地よく、癒されながら奥へと進みます。
きれいに整備された竹林は、竹と竹の間隔が程よく空いていて、その合間にさす日の光が美しく、体全体で心地よさを感じられる空間です。
竹林の中に入って上を見上げると、視覚に入ってくる真っ直ぐ上に伸びる竹の姿のせいか、自分の意識が真っ直ぐ上に立ち上るような、シュッと背筋が伸びるような清々しい感覚に陥ります。
野山の中の竹林と違い農場なので、平らな土地に広がっていることや、竹を運ぶためトラックなどが通れる農道が整備されているので、ここはさまざまな撮影のロケ地として使用されているそうです。
「るろうに剣心」や「キングダム」といった映画や、プロモーションビデオなど、そういえばあのシーンかもと思い当たるものばかりです。
竹の不思議な生態と魅力
美しい竹林の中を歩きながら、若山太郎さんは、まずは竹を知ってもらうにはその生態からと、丁寧に説明してくださいました。
この農園にある立派な竹は一体どのくらいの年月で育つのかと疑問思っていたのですが、竹はどの竹も、ほぼ2ヶ月で伸び切ってしまうそうです。その後はそれ以上の大きさに成長することなく、地下茎を伸ばしクローンのような新しい竹を生み出していきます。8年ほど活発に活動しそれを終えると2年ほどでその竹は寿命となります。私たちが普段目にしている竹はおよそこのように10年ほどで役割を終えているのです。
でもそれは地表に見えている部分、稈(かん)のお話。地下でつながってどんどん筍の芽を出し竹となる、というサイクルを繰り返します。そしておよそ100年ごとに1度だけ花を咲かし、地下茎で広がるのでなく、遠くへ子孫を移動させる活動も行うのです。
実は竹は目に見えている1本1本が独立しているのではなく、地下に広がる部分とまとめて一つの大きな生命体なのだということがよくわかります。一見10年サイクルで短いのかなと思いきや、100年間隔の気の長い戦略を持った、他の植物とは少し違う不思議なシステムの植物なのです。
8年経って間伐される竹を見極める目安の一つは、稈にある節の色なのだそうです。白くパウダーになっているのは若く、どんどん黒くなり、最後は色もなくなります。それを見ながら若山太郎さんたちは効率良く、自然に沿った間伐をしています。
お話をしながら地面を指差し、地下茎が顔を出しているところ教えてくださいました。この部分がバックの取手などに使われるのだそうです。
そんな話をしながら進んでいたら、今までの竹林とは違う金色に輝く竹林に入りました。
この美しい竹林は金明孟宗竹という種類なのだそうです。黄色と緑が市松模様のような間隔で稈に配置されていて、竹林の明るさが一気に増す感じです。黄色の部分に日の光が当たると、その名の通り金色に輝いています。
先ほど歩いた竹林は孟宗竹という種類で、同じ仲間になります。この孟宗竹は350年ほど前に中国から日本に献上品として入ってきた竹の種類で、この栃木には250年ほど前に水戸藩より伝わったと考えられています。
実は、この地下茎で広がる竹林は東アジアにしかない生態で、東南アジアなどにみられる竹とはまた違った生態なのだそうです。日本の庭園の竹や、パンダがかじる竹の姿がみられる竹林は限られた地域の姿なのだといえます。
金色の竹林を抜けると、今度は竹でできた大きなオブジェが登場します。ブランコもあり竹をアウトドアで楽しめる場所も用意されています。夜になるとライトアップもされるようです。
また、この場所でキャンプしたり、飲食を楽しんだり、音楽を楽しむイベントも行っているのだとか
若山農場は竹そのものをいろいろな形で体験できるそんな空間になっているようです。
竹の魅力をまるごと見せる
農場を一通り廻って受付がある建物のところまで戻ってきたら、昨日お話をさせていただいた齋藤正光さんが待っていてくださいました。
この場所に最近できた竹工芸のギャラリー&ミュージアムへ打ち合わせでいらっしゃっていたようです。ここの展示を齋藤正光さんが監修されていて、所蔵品もたくさん展示されています。
「せっかくなので齋藤さんに説明していただきましょう」ということで、一緒にギャラリー&ミュージアムへお邪魔することにしました。昨日見た作品のような、美しく、技術が高く、芸術的な作品が展示されています。作品の特徴や歴史、魅力の説明をしっかり聞かせていただきました。
竹という素材は技術とクリエイティビティによって、アートにまで昇華するのだというもう一つの魅力があるということを、ガラス越しでなく見て感じられる場所にしたかったのだと、そのためには齋藤正光さんのような方の力が必要なのだと若山太郎さんは語ります。
農場で育てた食材として、そして他の部分は建材や、植栽として、またはこの整備された空間を体験できる場所として、そして竹を使って生み出される工芸品から芸術品の姿まで、この場所「若竹の杜 若山農場」は竹の魅力がまるまる体験できる、そんな場所なのです。
水に恵まれなかった地域
一通り農場内を見せていただき、今度は若山太郎さんのご先祖や自身のお話を、大谷石の蔵の前にあるテラスで椅子に座ってじっくり伺うことにしました。
前述もしましたが、若山太郎さんの先祖の方が350年前にこの地に移り住んだのが始まりです。
ここに来たのは、この地で、灌漑事業が行われ農業用水が引かれることになったからという理由だったのですが、なんとこの用水事業、いろいろな問題で200年も頓挫することになってしまいます。
やっと用水が完成したのは150年ほど前で、二宮金次郎さんという、教科書や立像などで有名な方の尽力もあってのことだったのだそうです。
しかしそれほど時間が経ってしまうと、もはや稲作のことはとっくに諦めていて、さまざまな農作物を試して生計を立て、その中で竹と栗に少しずつ特化した農場へと変化していきます。
祖父の時代に入り、春の収穫に竹、秋の収穫に栗だと注目して本格的に取り組み始め、特に栗の無肥料無農薬の栽培方法を確率し先駆者となり、竹、栗の栽培を全国に広めていきます。
父親の時代には、竹の新しい利用方法、建材など材料への挑戦や品種改良を行い、主に竹の研究に勤しみます。
そんな先祖たちの姿を見ながら育った若山太郎さんですが、やはり若い頃は農場にはあまり興味が湧かず30代までは都内でランドスケープのデザインの仕事を行っていました。
さまざまな仕事の依頼を受ける中、日本らしいランドスケープデザインを模索してたところ、ニューヨークのIBMの本社にある竹の植栽を見かけ、近代的なビルと竹が生み出す程よくマッチした空間のかっこよさに痺れ、これだと思い早速プレゼンしてみます。すると共感してくださるクライアントが多く、どんどん依頼が増えていくことになります。しかし竹を植栽用に栽培している専門業者はなく、初めは父親にお願いしていたのですが、こうなったら自分でやろうと決心し、家業を引き継ぐことにしたのだそうです。
引き継がれた切り開く精神
今思い返してみると、先祖代々恵まれない土地だったからこそ、国や組織に頼らず自分たちでなんとか活路を見いだすという考え方が引き継がれているような気がする。と若山太郎さんは語ります。
販売する農作物や、素材を工夫し考え、またその販路や見せ方も考える。そんなスタイルは引き継がれてきたものなのかもしれません。
今では農作物の売上より遥かに植栽としての売上の方が多くなっているのだそうです。
こうして竹の新たな魅せ方というところに取り組み、さらに今度はこの場所自体のランドスケープの良さに気づきます。そこでまずは撮影などのロケ地として開放し始め、その場所を見てみたいというお客様が訪れるようになり、6年前に一般に開放していきます。初めは年間4000人ほどでしたが、今では(コロナ禍前のデーターです)8万人までにと拡大しました。
竹自体は何も変わっていないのだけど、私たちの魅せ方や届け方が変わっただけなのだと、できることなら食材、建材、植栽、ロケーション、そして工芸品やアート作品まで、竹そのものの魅力をどんどんアピールしていきたいのだそうです。
ただ、それを行うには、丁寧な自然に沿った手入れを怠らず、多くをのぞみ自然から搾取するのでなく、足るを知り、適度に分けていただくそんな感覚で取り組んでいきたいのだと語ります。
それぞれ違う産業のようですが竹という植物で一つにつながり、その植物を軸に運営するという新たな形。
それは一見別々のようだけど、地下茎でつながり大きな生命体という組織を形作る美しい竹の林のようです。
そんな話を伺ったらまたもう一度あの美しい竹林を見にいきたくなり、竹林道を車で走らせていました。
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