堀江貴文「信用がある人が人生でいちばん強い訳」

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肩書やまじめさが価値を持たない「新時代の信用」

生きていくうえで、いちばん大切にすべきものは何か?

そう聞かれたら、ぼくは迷わず「信用」と答える。

人生でもビジネスでも、何より大事なのは信用だ。信用がない人のところには、お金も人もチャンスもやってこない。

何かを成し遂げようと思っても、信用がないと余計な労力がかかる。うまくいったとしても、たいした成功は得られないだろう。

逆に信用がある人は、たくさんの人から助けてもらうことができる。一人では成し遂げられないような大きなことも実現できる。

「信用されたくない人」なんていない

人が社会を形成する生き物である以上、これは古今東西を問わない普遍的な法則だ。

だからぼくは、人生でいちばん大切にしているものは何かと問われたら「信用」と答え続けている。ぼくの本を何冊か読んだことがある読者なら、そのことを知っているはずだ。

では、なぜ今さら「信用」について語るのか?

それは、ぼくが大事にしている「信用」と、多くの人が考える「信用」が、必ずしも一致していないと感じてきたからだ。

そもそも「信用が大事」なんてことは、ぼくに言われるまでもなく、だれもが当たり前に感じていることだろう。「だれからも信用されたくない」なんて人はまずいない。

実際、ぼくが「人生では何よりも信用が大切だ」と言えば、たいていの人からは、

「そうそう、私もそう思っていました!」

「ぼくも信用が大事だと思います!」

といった反応が返ってくるはずだ。

ほとんどの人が「信用」を誤解している

ところが、少し話を聞いてみると、その人がイメージしている「信用」と、ぼくが語っている「信用」には、ちょっとしたズレがあることに気づく。

いや、ちょっとどころではない。人によっては、まったく正反対の考え方や価値観をベースにして、「そうですよね、信用が大切ですよね」と言っていたりする。

こういうときぼくは「話が通じていない」と感じる。ぼくの人生はこういうことだらけだ。

どうやら、ぼくが考える「信用」と、他人が考える「信用」は別物だと考えたほうがよさそうだ。この点を整理しないと、みんなが「間違った信用」を追い求めるだけの、バカげた世界がいつまでも続くことになる。

他人から信用されるために、みんなの言うことを聞いて、必死で努力しているのに、いっこうに人生がうまくいかないという人はいないだろうか?

難関大学を卒業したり、有名企業に入ったり、難しい資格をとったり、コツコツとお金を貯めたりしているのに、いつまで経ってもだれからも信用されない人はいないだろうか?

世の中にはそんな人が溢れている。みなさんが同じ状態にあるかどうかは別として、こうした「信用貧乏」に陥っている人は少なくないはずだ。

他人がどうなろうと、それはぼくの知ったことではない。だが……それでもやっぱり、間違ったことを見て見ぬ振りできないのがぼくの性分である。

その結果生まれたのが、『信用2.0』だ。これは、ぼくが人生でいちばん大事にしている「信用」をテーマにした唯一の本である。

「なぜ正直者がバカを見るのか?」

「なぜ優秀なあの人がだれからも信用されないのか?」

「なぜすごくいい加減なのにやたらと信頼される人がいるのか?」

信用の本質を正しくつかむことができれば、これらの世の中の隠された真相が手にとるようにわかるようになる。

そこでまず考えてほしいのが、冒頭の見出しにも掲げた問いだ。つまり、

「堀江貴文はなぜこんなに信用されているのか?」

ぼくという存在は、これからの時代の信用を考えるうえでの格好の材料だと思う。

ぼくのような人間が信用を集めている理由を正しく説明できるかどうかは、時代に即した「信用」観を持てているかどうかの試金石だと言っていいだろう。

みなさんなら、この問いにどんなふうに答えるだろうか?

「いや、お前が信用を語るなよ(笑)」

あえて自分で言うことではないが、ぼくはかなり多くの人から信用されている。

ぼくは今50歳だ。世の中の50歳の平均値と比べても、圧倒的に信用されているのは間違いない。

たとえば、手元にある大事な100万円を「得体の知れない50歳のおじさん」か「ホリエモン」のどちらかに預けなければならないとすれば、みなさんはどうするだろうか? おそらくぼくにお金を預けるという人のほうが多いのではないだろうか。

とはいえ、たとえばツイッターでこんなことを呟けば、「俺は堀江のことなんて信じていないぞ!」「どの口が言っているんだ?」「いや、お前が信用を語るなよ(笑)」などと書き込む連中がどっさり釣れるだろうことは容易に想像がつく。

なかには「タレント」や「芸人」や「◯◯学者」と名乗る人もいるかもしれない。

また、こういうどういった実績があるのかよくわからない人を信用している人もいるので、これに便乗していろいろと書き立てるツイートもわいてくるだろう。

ぼくにとって、こんなのは日常茶飯事だ。なんということもない。

何を言われても超然としていられるのは、彼らのほとんどがぼくよりも圧倒的に信用のない人たちだからだ。だから、彼らのセリフをそっくりそのままお返しするだけでこと足りる。

「いや、お前が信用を語るなよ」

─以上(笑)。

とはいえ、「堀江のことなんて信用できない」と感じている人がいるのは、事実としてよくわかっているつもりだ。それにしても、なぜぼくを信用できる人と、まったく信用できない人とがいるのだろうか?

それは「こういう人は信じられる」「こういう行動は受け入れられる」という基準が、人によってまちまちだからだ。だからぼくという人間は、ある人たちからは「信用できる」とされ、ある人たちからは「信用できない」とされる。

これをもう少しはっきりさせるため、ちょっとした思考実験をしてみよう。

あなたが思う「信用できる人」のイメージや条件を、どんなものでもいい、いくつでもいいから思い浮かべてほしい。

・名の通った大手企業に勤めている
・勤続年数も長く、勤務態度もまじめ
・高偏差値の大学を卒業していて、成績優秀
・結婚して、きちんと子育てをしている
・持ち家もあり、堅実に貯金もしている

こんな人物像が思い浮かんだかもしれない。

あるいは、

・人に頼らず、自分で最後までやり遂げられる
・思いつきで行動せず、じっくり慎重に考えて計画的に行動する
・メールだけで用事を済ませず、直接会うことを大切にできる

といった行動スタイルを思い浮かべた人もいるだろう。

「事実」を見ようとしない人の末路

どうだろう? 

ここに挙げたような人物像から、それほど違和感なく「たしかに信用できそうだな……」という感想を抱いた人もいるのではないだろうか?

もしそうだとすると、おそらくあなたは、ぼくのことを心からは信用できていないはずだ。

無理もない。なぜなら、ぼくはこれらの基準にはまったく当てはまらないからだ。ぼくは会社勤めの経験はないし、いまだに本業が何か自分でもよくわからない。

大学中退で住所不定のホテル暮らし。

離婚しているし、子育てもしていない。

面倒なことは人に任せっきりだし、性格はかなり飽きっぽい。

対面の打ち合わせどころか、電話すらも大嫌い。全部LINEで済ませたい人間だ。

発言は定期的に炎上して世間を騒がせているし、おまけに逮捕歴もある。

つまり、さっきの条件に当てはめれば、「信用できる要素」がゼロだ。

前述の「信用」観を持っている人には、なぜ堀江貴文がこんなに信用されているのかがさっぱり理解できないだろう。

「なぜあんな人間がもてはやされているのか?」

「なぜあんな人間がつくった会社に8000億円もの時価総額がついたのか?」

「なぜツイッターに350万人以上のフォロワーがいるのか?」

「なぜYouTubeが合計5億回も再生されているのか?」

「……いったいなぜだ─?」

この謎が解けたとき、あなたは「新時代の信用」を集められる人間になれる。

ぼくが信用されているという事実から目を背けて、考えることを放棄し、いつまでも「あんなやつを信じる人間の気が知れない!」などと言っている人からは、すべてがこぼれ落ちていくことになる。

とはいえ、ここまで読んでくれているあなたは、そうした残念な人たちとは一線を画していると言っていいだろう。

「新しい信用」の本質まではつかめていないにしても、そこに何かしらの問題意識や関心を持てている時点で、時代の流れを正しく洞察・予感できているのは間違いないからだ。

そう、たしかに現代においては「信用」を支える原理そのものが変わってしまった。

かつては、先ほど挙げたような人物像や行動様式に沿って生きていれば、わりと簡単に信用が得られた。

その枠組みに収まっていさえすれば、だれでも確実に「信用される人」になれた。

でも今はちがう。時代が変わったのだ。

こんな人物像や基準は、まったく「信用」に値しない。

むしろぼくは、これに多く該当する人とつき合うのなんかは、まっぴらごめんである。いまだにこんな基準を満たして安心している人を、ぼくはまったく信用しない。

信用1.0と信用2.0

『信用2.0 自分と世界を変える「最重要資産」』(朝日新聞出版)。書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします

今回の『信用2.0』では、先に列挙したような、かつては通用していた信用のための行動基準や人物像を「信用1.0」と呼ぶことにする。これに対して、ぼくが大切にしたい価値観のほうを「信用2.0」と名づけることにしよう。

まあ、話をわかりやすくするための便宜上の名称だと思ってほしい。名前なんてものはどうでもいいのだ。

ひとたび「信用の資産家」になれば、あとは人生がプラス方向に転がり続けるだけ─。

信用の元手を正しく運用し、一緒に大きく育てていこう。

Source Taken From: https://toyokeizai.net/articles/-/667359?page=5

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